臨床心理士のうたたね日記

日々、気がついたことをできるだけ面白おかしく、時にきまじめにお伝えしていきたいと思います。

ユーモアの働き

昔読んだフランクルの「夜と霧」が気になった。 有名な精神医学者V・フランクルナチス強制収容所での常に死の隣りあわせという壮絶な苦しみの中、生き残った人々に生きる力を与えた3つのことを『夜と霧』の中であげている。 それは日々祈る人、音楽を愛する人、ユーモアのセンスを持っている人が生き残ったということである。 フランクルはユーモアの効用として、「自己距離化」という概念を述べている。死の隣りあわせで、絶望的で逃れる道が見えないような状況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離を置かせる働きをする。ユーモアによって自分自身や自分の人生を異なった視点から観察できる柔軟性や客観性「自己距離化」が生まれるという。 フランクルは、「ユーモアは人間だけに与えられた、神的といってもいいほどの崇高な能力である」と言っている。 (斉藤啓一著「フランクルに学ぶ」(日本教文社刊)2000引用) 私は、相談者を通して、絶望を経験する。そして、希望も経験する。確かにお先真っ暗で本当にどうにもこうにもしようがなかったら、祈ること笑うことしかなく、それで気持ちが楽になることは確かである。ユーモアが生まれると、難問が共有された相談者と私の内部から外に転がりでて、二人でそれを見て笑えるような感覚を味わえる。 私は、相談者とともに笑えるときは笑いたい。 ヴィクトール・フランクル> 1905年ウィーンに生まれる。ウィーン大学在学中よりアドラーフロイトに師事し、精神医学を学ぶ。 ウィーン大学医学部精神科教授、ウィーン市立病院神経科部長を兼任。 1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所に収容され、父親はここで死亡し、母親と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。1947年に再婚。 強制収容所での体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上に渡って読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったという[1]。他に読売新聞による2000年の「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。 Wikipedia参照